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言葉 ( 講演録等 )

平成16年全国暴力追放運動中央大会講演

 

「今、あらためて考える-暴力団排除運動の原点とは」

 
日本弁護士連合会民事介入暴力対策委員会
副委員長 弁護士 三井義廣

 


1.はじめに

 
 三井でございます。よろしくお願いします。今ビデオを見ていただきました。自分自身しばらくぶりにこのビデオを見まして、当時のことを改めて思い出しているわけです。 
 今日、講演を依頼されまして、演題は「今、あらためて考える-暴力団排除運動の原点とは」という内容です。そこに今の一力一家のビデオということになりますと、要は一力一家の事件が原点であったのではないかというように直結するとは思うのですが、原点であったかどうかは別にして、一つのターニングポイントということではあったのかなと思います。すでに20年近い年が経過しているわけですが、その後の暴力団対策の流れというものを振り返ってみますと、やはりこの一力一家事件というのは一つのターニングポイントであったのではないかと思い返します。 
 何がターニングポイントであったのかということが問題だろうと思いますが、そこの点を含めて、今日若干お話をさせていただければということです。皆さん今日表彰を受けていらっしゃる方ですので、暴力団排除運動ということについてはまさに経験者、あるいはまさにいま実行されている方々ですので、釈迦に説法という感じになるかもしれませんが、改めてお話ししたいと思います。 
 いま見ていただいたビデオというのは,NHK特集という確か45分か、50分くらいの番組だったのではないか、それを20分弱ぐらいに編集していただきまして流されたわけです。言ってみれば一力一家事件の目次をザッと流したという感じだろうと思います。そこで裏話といったようなものを若干お話しできればと思います。


2.暴力団事務所撤去は困難

 
 まず裏話その1ということです。先ほどの流れにありましたように60年に海老塚地区の住民によって住民運動が起こったわけです。ちょうど当時は海老塚というのは区画整理事業が終了して町並みが整理され、これから発展を迎えようとしていた矢先の町、その町のちょうど真ん中にある十字路の交差点の角にこの組事務所が来るということになりまして、61年の8月にまさに転居、移転をして来たことで、それ以前も住民運動があったわけですが、急に住民の運動が盛り上がっていった。
 そういう中で61年の10月になりますが、当時たまたまといいますか、私が静岡県の弁護士会の民暴委員会の委員でした。この事件に携わるまで民暴委員の自覚すらあまりなかったのですが、民暴委員ということで相談を受けました。この海老塚の住民30、40人が集まりまして、そこで弁護士による相談会というものを開催してほしいということで呼ばれて出席したわけです。
 当時浜松の弁護士が、僕を含めて5人ほど参加しました。そこでの一番の住民の質問というのは、住民はそういうかたちで暴力団事務所の撤去の運動をやっているのだけれども、はたして法律的に撤去が認められるものであろうか。その点について非常に大きな不安を抱いていたわけです。住民運動だけで出て行ってもらえるだろうかという不安があり、さらに法律的にそれができるのだろうかというような質問を受けました。
 そこに出席した5人の弁護士の意見ですが、とても裁判を起こしても組事務所なんか出て行ってもらえない、それは無理だというように答えた弁護士が1名。どうなのかな、なかなか難しいんじゃないかな、という感じでいた弁護士が2名、そしてやれば何とかなるんじゃないか、というぐらいに答えた弁護士が2名。そうすると積極、消極ということで合わせると消極的な意見が3名、多少積極的な意見が2名という割合でした。普段法律を扱っている弁護士の意見としてそういうような割合でした。
 この事件はビデオにもありましたけれども、自前ビルという暴力団自身が土地、建物を所有している。その事務所から暴力団を追い出すというものです。本来自分の所有するものをどのように利用しようとそれは自由だというのが法律的な建て前になるわけです。それを崩してまで追い出せるのかどうかということについては、その程度の割合での意見。そういうかたちに分かれていたと思います。


3.人格権による使用差止も不安

 
 そのあと先ほどありましたように、61年の11月に一力一家側から慰謝料請求訴訟を起こされました。これによって住民運動というのは逆のかたちといいますか、組員側から起こされた訴訟でもって法廷闘争に力点が移っていった。住民運動が徐々に鎮静化していくという中で、先ほど来ビデオに出ていた水野栄市郎さんたち、実際現場で運動を起こしていた人達から、このままでは仮に慰謝料訴訟に勝ったとしても組は追い出せないじゃないか、そういう危機感から何とか逆に暴力団を追い出すための方策を考えてほしいという強い要望が弁護団のほうにも寄せられておりました。
 当時浜松の弁護士、40人ぐらいだったと思いますが、そのうちの18人ぐらいでもって慰謝料訴訟の弁護団を組んでおりましたが、その18人のうち十数名ぐらいが集まって、昭和62年の6月6日、7日と合宿をやりまして、組事務所を追い出す方策が取れるだろうかということを討議したわけです。
 ここの席でも弁護団になっている人たちですから、どちらかと言えば暴力団事務所は何とかしなければいけないんじゃないかというような思いでしたが、弁護団に参加していただいている弁護士の中での意見がなかなかまとまらない。
 ここの席で初めて人格権に基づく使用差し止めという考え方が、正式に表明されたわけですが、当時といいますか、その前から公害訴訟なんかで人格権というのが使われていたわけです。横田基地訴訟であるとか、有名な公害訴訟がいくつかありましたが、そこに人格権というものに基づいて使用差し止めができる、そういう法理があったわけですが、そこに着目して、いわば暴力団というのは公害の発生源と一緒じゃないかというような意味で、人格権に基づく使用差し止めができるのではないかと考えた弁護士が、十数名参加した弁護士の中でも数名ぐらいでした。
 それで2日間の合宿を通して、弁護団としてはこれでいこうということになったわけです。所有権を切り崩す、その方策というのはそれ以外に当時としては考えられなかった。ただそれがはたして本当に裁判所によって認められるかどうか。それはこの時点では何とも言えない。かなり不安が残っていたと思います。
 その結果、人格権に基づく提訴ということが一応弁護団の中では決まったわけです。ただその後、先ほどのビデオにあったような暴力団側からの加害行為というのが続発しました。6月20日に私も刺されるということになってしまったわけですが、そのあと逆提訴弁護団とか、逆提訴原告団とかという名前で呼びましたが、その人格権に基づく明け渡し、使用停止を求めていく、そういう流れになってくるわけです。


4.仮処分も難しい

 
 その時点でも初めは普通の訴訟、普通の裁判手続きでやろうということが念頭にありました。それが結果的に仮処分という方法、これは名前の通り仮の処分ということで、本来の裁判ということになると時間もかかる。かなりの期間かからなければ裁判所の判断が出ないのではないか。それを短時間にとりあえず仮の処分として出してもらう。そういう手続きでやろうという話が弁護団の中から出ました。
 この時もはたしてそれでできるのかどうか、仮処分という簡易な手続きで命令が出してもらえるのかどうか、やはり弁護団の中でも意見が分かれた。そういう弁護団の中ですら、あるいは弁護士の中ですら非常に難しいであろうという意見もあり、本当に裁判所はそれでやってくれるのだろうかという不安の中で行動していた。それが結果的には仮処分が認められ、そのあと本案訴訟で和解というかたちではありますけれども120%の勝利と当時言っていましたが、組事務所の使用を差し止めることができたという成果が得られたのです。


5.不可能を可能に

 
 当時の考え方では不可能ではないかということが可能になった。不可能を可能にしたということの成果は大きかっただろうと思います。こういうことは民暴事件、民暴事案ではいくつかあると思います。先ほど来の話の中で、今月出た組長訴訟というようなもの、これもそういうことだろうと思います。大阪の先生、京都の先生を中心にしてやっていただいていた藤武事件という事件があり、その最高裁判決が今月出たわけですが、5代目山口組渡辺は山口組というもののトップにいるわけでして、トップは組員の起こしたことについて使用者として責任を持たなければいけない。民法715条、使用者責任という法律があるわけです。これが最高裁によって大きく認められたということになるわけですが、おそらく一番初めの段階では、果たして暴力団に、ましてや5代目山口組のトップに使用者というかたちでの法的責任が認められるのだろうか、それについては弁護団の中でもおそらく非常に大きな不安があっただろうと思います。
 しかし、その結果大きな成果が得られた。不可能と思われることが可能になっていく。そういう過程であったろうと思います。


6.素朴な思いが裁判所を動かした

 
 こういう成果を得られる原点は何だったのだろうか。やはり暴力団、あるいは暴力を生業にする集団、そういう集団が保護される、あるいはその利益が認められるというのはおかしいのではないかという素朴な気持ち、思い、それが通じていった過程ではないか。
 一力一家事件にしてもそうだろうと思います。せっかくこれからいい町になると期待していた住民の人たち。その人たちの思いを裏切ってそこに暴力団が……。これを認めたらおかしいんじゃないかという素朴な思いが裁判所にも通じていったのではないか。そのように思います。そうした素朴な価値判断といいますか、そういうものは決して負けないといいますか、結果的には大きな成果を得ることができるのではないかと思います。


7.刺傷事件

 
 それから裏話その2でございます。先ほどから出ています6月20日に刺されたときのことを若干裏話としてお話しします。
 先ほどのビデオではうまく編集されておりまして、私が刺されたときのことはあまり出ていなかったのですが、実際にはテレビで放映された中の映像には、ちょうど病院に入ってストレッチャーというのですか、寝台で運ばれるという生々しい映像がありました。自分自身で見てもあまりいい気持ちはしないのですが、そういう刺されるという事件が起こったこと自体、あるいはその後、それ以前も含めて住民が直接危害を加えられる事件、そういうものがあったこと自体、この運動の非常に大きな問題点であったろうと思いますし、その後の流れの中で反省点やらをいろいろ探しておりました。
 それはそれとして、刺されたときのことについてその後いろいろな人から質問を受ける中で一番多い質問というのは、まず痛かったのかどうかということです。それから怖かったのではないか、こういう質問です。今日おいでの方の中に刺された経験のある方はいらっしゃいますか。撃たれた経験のある人は、元警察庁長官などいるわけですが、正直申しましてまず痛くはなかった。
 傷自体は肺に達しました。背中を刺されたのです。肺に達するぐらいの傷だったのですが、不思議なことに痛くなくて、現場検証のビデオが出ていましたようにナイフで刺されたわけですが、げんこつで背中をたたかれたというぐらいの感じでした。どういうわけか痛くなくて、ただ犯人が逃げていくときに右手に何か持っていたふうなところがちらっと見えた。それでその場にいた、ちょうど司法書士の人たちと勉強会をやっていた場だったのです。これも変なところじゃなくてよかったのですが、勉強会という場で、その場にいた司法書士の人に背中を見てくれと言ったら、若干血がにじんでいるというぐらいでした。
 ただ傷が肺に達したものですから、肺から空気が漏れて肺がしぼんでいく。気胸というのだそうですが、しぼんでいくときの痛みというのが中のほうから痛くなってくる。それも我慢できないほどの痛みではないのですが、1時間、2時間すると徐々に痛くなってくるというそんな状況でした。
 3週間入院しまして、退院するときに、こういう事件なものですから記者会見が行われました。そこに病院の院長が同席したのですが、院長が記者会見の場で、今でも115キロぐらいの体重があるのですが、ご覧のとおりの体格で皮下脂肪の厚さで助かった、というように言いました。(笑)たまには皮下脂肪もいいことがあるものだなということで大事に至らなくてよかったのですが、その割には痛みがなかった。


8.暴力への憤り

 
 それからもう一つ、怖くなかったかということですが、これも怖いという感じは持たなかったですね。痛くないということであまり怖さもなかったのかもしれないですが、逆に僕自身よりも周りにいるほかの弁護団の連中……、当時は浜松の地元の弁護士ばかりで、しかも弁護士になってほんの数年という若手の弁護士が中心だったのですが、周りにいる弁護団に入っている弁護士のほうが顔色を……。当時入院先に毎日に近いほど来ていたわけですが、顔を見ると危機感というか、恐怖感というか、そういったような不安感が見て取れた。逆に入院している本人は、行け行けどんどんみたいな話しかしないというような状況だったろうと思います。 
 怖いということよりも憤りといいますか、怒りといいますか、そういったものが非常に強かった。当時人格権に基づく使用差し止めをこれからやろうというような表明をマスコミに対してし、また住民に対してした。そういう状況の中でこういう事件が起こった。自分のやろうとしている行動、あるいは自分の思いといいますか、そういうものを暴力によってねじ曲げられようとしている。暴力によってねじ曲げようとしている。それに対する憤りというものが非常に大きかった、というよりもそれだけであったような気がします。 
 自分のやろうとしていること、思っていること、それを暴力でねじ曲げられることの屈辱感といいますか、ねじ曲げられるのじゃないかと思って向こうはやっていると思っているのですが、そういうようなことを受けることの怒りが非常に強かった。 
 ですので何としても自分としてはこの組事務所の使用差し止め、その成果を勝ち取らなければいけない、この成果が得られなければ、もう弁護士を辞めるしかないというように当時は本当に思っていました。 
 どんな理由であれ、負けるという結果が出たとすれば、それは言ってみれば自分が暴力に屈したという状況になってしまう。それがどうしても自分では許せない。だから逆に言えばどんな理由でもいいから、とにかくこの訴訟には勝たなければいけない。そういうことばかりを考えていました。 
 そういう中でほかの弁護団の連中は、なかなかそう行け行けどんどんにならないわけでして、本人だけがあせりを持っていたのですが、幸いにして当時日弁連の民暴委員会の方もこの事件に関心を持っていただいて、いろいろな支援を受けていたわけです。そういう中で先ほどのビデオにも出てきました、もう亡くなられたのですが、宮崎乾朗さんという大阪の弁護士がいました。たまたま大学の先輩だったということで以前から知っていたわけですが、この人に弁護団を頼もうじゃないかということを地元の弁護士の中で話をし、その結果その後宮崎乾朗さんがこの弁護団に参加していただいて、弁護団長という役も引き受けていただいた。


9.暴力団被害者に共通の思い

 
 そういうことでその後の仮処分申請、本案訴訟、そして和解というかたちに進んだわけですが、こういう暴力団に被害を受けたときの憤りといいますか、そういう思いというのは僕だけではなくて、ほかの被害者の人たちにも共通するのではないかと思います。
 先ほどご紹介にありましたように、去年の6月、暴力団被害者の会というのを結成しました。まさに暴力団によって被害を受けた人たちの会、被害を受けた経験者がその後発生する被害者といいますか、そういう人たちの支援をしていこうという会なんですが、この会長をしていただいているのが堀江ひとみさんという、皆さん方もどこかで名前を聞いたことがあるのではないかと思います。神戸で堀江まやさんという娘さんを暴力団によって誤って殺された、そのお母さんです。その後いろいろなところで暴力団追放活動、暴排運動をやっているわけですが、この堀江さんがやはり同じような思いでいま運動に携わっているわけです。
 それからこの被害者の会に参加していただいている中には、山下さんという方がいます。山下訴訟という、これも組長訴訟です。これはある暴力団の幹部がちょっと前まで住んでいた家にその幹部が出たあと山下さんが転居してきた。その後対立する組が、そこがまだ組の幹部の自宅だろうと思って拳銃を撃ち込んだ。それによってお父さんが殺された。その息子さんになるわけですが、この人にも参加していただいています。
 この山下さんの話を聞いたときにも、初めは確かに悲嘆にくれるというか、突然父親が殺されるという状況に陥って全く何も考えられない。食事さえ、食べたのか、食べないのかわからない。そういう状況に陥れられるわけですが、その後沸々と起こってくるのは暴力団に対する憤り、怒りである。それを思うことによって組長訴訟という使用者責任の訴訟を起こす力になった。そういう思いにならなければ、とても自ら訴訟を起こそうという気持ちにはならなかったとおっしゃっていました。


10.マフィア被害者

 
 それからさらに言えば、これも日弁連の民暴委員会というところに所属している関係で、この一力一家事件以降、イタリアの視察というのを2度ほど行いました。これは対マフィア活動といいますか、それがイタリアにおいてどのように行われているのかということを視察する旅行だったのですが、その中で1人はテッラノーバさんという、ご主人が検事でして、マフィア対策の指揮をしていたという立場にあった人なんですが、この人がマフィアによって殺された、その未亡人です。イタリアにおいてもマフィアに対する怒り、憤り、そういうものが未亡人をして対マフィア運動を行わせているという状況がある。
 それからほかに直接会った人では、ある商店の人なんですが、マフィアにみかじめ料を払わないばかりにご主人が殺されてしまったという奥さん。当時でも細々と商売をやっていらしたわけですが、こういう未亡人が集まってパレルモアンノウーノというような名称だったと思いますが、マフィアに対抗する住民の組織を作っていた。やはりマフィアの存在を許せない。その怒りが原点にあっただろうと思います。
 ですので被害を受けたからといって、おそらく怖さというもので何もできないという状況にはならないだろう。実際に被害を受けた人というのは、その被害の相手である暴力団あるいはマフィアに対する憤り、怒り、そういうものに駆られるのではないか。


11.住人も被害者

 
 この一力一家の事件というのは、それと同じようなことで起こったのではないかと振り返ってみるとそう思います。といいますのは、組事務所問題において運動を起こす住民というのはまさに暴力団の被害者であろう。自分の町に暴力団が来る。そのことによって自分の日々の生活が制約されていく。実際に制約されるかどうかは別にしても、少なくとも心の中で日々不安を抱えながら行動しなければならない。これはまさに被害であろう。
 暴力あるいは暴力による威嚇、それを生業としている暴力団によって、自分の生活が制約されていく。こういうことが許せないと思う心が運動を起こすのではないか。それを認めてしまう、暴力団事務所の存在を認めてしまう。そうなってしまえば自分の人格を否定されるにも等しいような、そういう屈辱を味わうことになってしまう。それが自分の中で実感できるから、組事務所の追放運動を起こそうという気持ちがわき上がってくるのではないかというように思うわけです。


12.恐怖心を振り切って

 
 ただそういう思いだけで運動はできないし、続かないということもまた事実だろうと思います。敵は暴力団であり、暴力であるわけです。先ほど来、勇気、勇気と言われていますが、ただ暴力に対して勇気を出せと言うだけではいけない。やはり人間ですから暴力に対して怖いという思いはどこかにあるのだろうと思います。
 この一力一家事件の場合でも、先ほどビデオに出てきたような日本刀を振りかざすような行為であるとか、あるいは監視小屋から帰る住民たちを取り囲んで脅すとか、そういう直接的な暴力、あるいは暴力を背景とした威嚇、そういうものが多々行われた場面がありました。
 そういうときにただ勇気を出しなさいというだけでは、なかなか勇気というのは出てこない。逆に暴力団側から言わせれば、そういうことをすることによって運動を切り崩していこうということになるわけです。
 そこで問題は暴力団を憎む気持ち、憤る気持ち、それをどう維持するかということになるわけですが、ここにあるのは団結力であったろうと、この一力一家事件を通じて思い返します。1人ではどうしても暴力の前にしおれてしまおうとする弱い気持ちが起こるわけですが、それを振り切って運動を継続していこうという思いの中では、団結力が非常に重要だったろうと思います。


13.団結とは

 
 ただ、団結といいますけれども、これがまた簡単ではないと思います。団結というのはどうやって生まれるのか、どういうものなのかということになるわけですが、団結は考えてみますと要は情報の共有であるのではないかなと思います。情報の共有というのは、当時運動を取り巻く情勢といいますか、暴力団側の情勢であり、警察の情勢であり、住民の情勢であり、あるいはもっと言えば社会全体の情勢。そういう情報をともに共有して気持ちを同じくしていく。これも一つの情報の共有であるわけですが、さらに重要なのは感情の共有といいますか、気持ちの共有ではないか。
 運動をしているほかの住民の人たち、ほかの人たちが今どういうことを思い、どういうことを考えているのか。それをお互い知ることによって団結というものが生まれてくるのではないか。一方では暴力団を憎む気持ちを共有するということも非常に重要であります。時としてしおれてしまおうとする気持ちを鼓舞するといいますか、維持するために憎む気持ちを共有する。


14.恐れを共有する

 
 これが一つ大事でありますが、もう一つは暴力団を恐れる気持ちも共有する。だれでも怖いと思う気持ちはどこかにひそんでいる。それが1人で考える、1人でいることによってどんどん大きくなってしまう。ただ運動をみんなやっている。そういう中で見ていると、自分が怖いんだとかということが言えない。そうすると1人でどんどん固まっていってしまうという状況になるのだろうと思いますが、そういう怖いと思う気持ちも共有する。ああ、あの人もやっぱり怖いと思っているんだということがわかる。そういう運動になることが必要なのではないか。
 先ほどのビデオの中にもちょっと出ていましたが、自治会長が運動から離脱していった。その影には怖いという気持ちが1人で増殖していったということがあったと聞いています。怖いと思う気持ちを暴力団側は利用して切り崩しにかかるわけです。それを1人のものにさせておいたことによって、自治会側は暴力団との和解に向かった。
 これも一つの反省点なんですが、そういう怖いと思う気持ちは誰でも持っているんだ。実際に現場に立って住民運動をリードしている人たちですら、その怖いという気持ちがある。そういうことをほかの住民の人たちも相互に知り合うことが団結なのではないかなと思います。そうすることによってその運動は維持され、拡大していくのではないかと思いました。


15.団結こそ唯一の武器

 
 ビデオの中に何回か登場したリーダーの水野栄市郎さんという方がいるわけですが、63年の2月に和解が成立したあと、その報告集会を行った席で彼が言っていた言葉がありました。暴力団に対して何も武器を持たない住民が勝てたのは、団結の力があったからだ。団結力こそが住民の唯一の武器であるというようなことを言っておりました。まさにそのとおりだろうと思います。
 ここにいらっしゃる皆さん方は、いろいろなところで暴力団排除運動に日々当たっておられる方だと思います。この一力一家事件を一つのターニングポイントとして考えるのであれば、そういう住民一人ひとりの思いが集まることによって、そしてそれが団結することによって大きな成果が得られる。そういうことのさきがけとなれたのだなと思いまして、改めてその思いを語らせていただきました。
 皆さんも暴力、あるいは暴力団、これを大いに憎んでいただきたい。大いに憤っていただきたい。そして恐れてもいただきたい。その上でその憎む気持ち、憤る気持ち、それから恐れる気持ち、その気持ちを互いに共有して団結していただきたいと思います。そうすれば弁護士でさえ難しいと考えていた、そういう不可能だと思われたことが可能になっていくのではないかと思います。ありがとうございました。